有安杏果の卒業発表から1年経ち、今思うこと
もう1年なんだなと、本当に目まぐるしい1年だったなとそう感じています。
昨年の3月に最初のブログを書いてみてから11ヵ月経ち、今読み返すと若干綺麗事だったかなと思ったり、あの日から1年経った今、過去のブログやTwitterと重複する部分もあるかと思いますが、現在の気持ちを綴っておこうと思います。
杏果が卒業発表した時は本当に何も考えられませんでした。泣きながら絶望しながら1週間過ごしました。
1月21日に杏果が発した言葉は、正直最後の挨拶がこれ?これで終わり?と思ってしまった。理解できないことが多すぎた。「あーりんにはいつでもどこでもアイドルでいることを教わりました、ありがとう」って始まった段階で、自分の中では、その言い方なに?って思ってしまったし、ムリしてアイドルしてましたみたいに聞こえて、それだったら、アイドルはもうできないって言って…と思ってしまったし、「私も10周年は5人で迎えられると思ってました」も言わなきゃ、こんな禍根を残さんかっただろうとは今でも思ってるし、「ももクロは奇跡の5人って言われることがあるけど、私は実はあんまりそうは思ったことがなくて。この4人とモノノフさんでももクロだと思っています」これも彼女なりの最大限の謙遜だとは思うんですけど、いや、そういうことではないじゃんって思った。それを今言って、誰が喜ぶのかなぁと、誰がその言葉で、あぁそうやなぁキミ以外の4人とファンも含めて奇跡の5人やなぁって、誰が思うんやと。
そしてステージから杏果だけ笑顔でスッと消えてしまった。
そこから経験したことのない虚無感。
私はここで4人のももクロちゃんを見て、ももクロちゃん大丈夫かな?という思いと、杏果がいないももクロを応援し続けれるのかな?という思いになった。
でも4人のももクロちゃんを見ないで判断するのは、違うなぁと思ったから、次のライブを待った。
結果的に、ももクロちゃん大好きだーーーー!!!!夏菜子ちゃん大好きだーーーー!!!!しおりん大好きだーーーー!!!!あーりん大好きだーーーー!!!!れにちゃん大好きだーーーー!!!!ってなったから、ライブに行けて、ほんとによかったなぁって思うし、魅せてくれた、改めて魅了してくれたももクロちゃんに感謝しかないです。
杏果のことに戻ると、3月15日。
TwitterとInstagramを始めてくれたとき、手放しには喜べない自分がいた。
なんでこのタイミングなんだろうって、もちろん誕生日っていう節目はわかった上で何か勝手に裏切られた気分になって、ほんとに辛かった。なんか勝手にもっと隠居生活を(普通の女の子の生活を送るとは別で、表向きに発信することをしないという意味で)送るのかなぁって思ってたから。早いなぁって思ってしまう部分があった。
周りの方のリツイートやいいねで回ってくる内容で現状を知るという形だった。
1回もコメントもできなかった。
言いようのない違和感はあるけど、元気そうな姿が見れて、よかったなぁって。
別に嫌いになったとか、そういうことではなく。
むしろ、杏果が作ってた薔薇のビーズのキットも買ったし、途中でやめちゃったけど。でもスカートは型紙起こしてミシンで作ったし、カバンもリメイクしたり、棒針・かぎ針を使って小物作ったし、靴下は作ろうとして、途中で挫折したけど、タピオカミルクティは飲みに並んだし、杏果の「普通の女の子の生活を送りたい」を切り取って発信してくれたこと自体は、個人的には好きな雰囲気だった。
でも求めてるのは、そこじゃなかったんだなぁと思う。
結局は、「歌う」のか「歌わない」のか。
その報告をいつしてくれるのかを、ずっとぼんやりと待ち続けていたのだと思う。
そして2019年1月15日
「音楽活動や写真活動などを通して表現し伝えていく活動を始めます」
おかえり。個人事務所かぁ。頑張ってね。
私はそんな感じでした。
なんというか、ホッとした気持ち。
ドメイン取得の件で荒れたり、芸能人/一般人論争で荒れたり、そういうことで、議論になるの、そういう形で杏果の名前を見るの、正直辛かったから、「有安杏果」で頑張るんだね。ありがとうっていう気持ち。
私の中では
これからの「有安杏果」
は違うものだと捉えています。
そうしないと気持ちの整理がつかないので、そう思うことにしています。
「ももクロの活動をしながら、ソロ活動をしていた有安杏果」も好きだった。
だけど、これからの「有安杏果」をずっと好きでいれるかは、「有安杏果」がどういう世界を見せてくれるかによると思ってます。
大したことないなぁと思ったら、応援しなくなるかもしれないし、もしかしたら、のめり込んで好きになるかもしれないし、それは彼女が「ももクロ」という看板を下ろしたので、「ももクロ」というアドバンテージを捨てた「有安杏果」で戦う杏果を、ももクロ在籍時代に好きだったいち消費者として、見ていくだけだと思ってるからです。
いまは「ももクロ」というアドバンテージという言い方をしましたが、「有安杏果」がいたことがこれからの「ももクロ」のアドバンテージに「あの有安杏果が過去にいたグループはももクロっていうらしい」ぐらいに世間に思われるような活躍を期待しています。
これからの「有安杏果」を応援しなければ、過去の「ももクロの緑の有安杏果」を好きだったという、その思いが、偽物ということもないと思います。
有安杏果がももクロを卒業したこと自体が許せない人もいるかもしれない、5人のももクロを壊されたことが許せない人もいるかもしれない、有安杏果がももクロと別の道の歩き出したことが許せない人もいるかもしれない、もうももクロを見るのが嫌な人もいるかもしれない、もう有安杏果を見るのが嫌な人もいるかもしれない。モノノフだから、こう思わなければならないなんてことは、1つもない。ももクロを好きになってしまったら、一生ももクロを応援しなければならない、そんなことはない。自分が好きだったももクロと違うなぁと思ったら、離れてもいい。他のアイドルを好きになってもいい。他のコトにハマってもいい。モノノフを一度名乗ったからって、一生ももクロを好きでいるという盃を交わしたわけじゃない。
私の場合、たまたまももクロちゃんが、私にとって、この世界で1番心惹かれる子達で居続けてくれるから、応援し続けているだけです。これからの有安杏果もたまたま興味があるので、応援しようと思っているだけです。
モノノフたるもの、これからの「有安杏果」を応援しなければならない、ということもないと思います。
100人いたら、100人違う思いがあって、当然だと、そう思います。
好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
好きなように、好きでいい。
好きなように、嫌いでいい。
応援できないという思いを発信してもいい。
本当にそう思ってるんですけど、ただ「緑推し死ね」とか、そういう表現は悲しいなぁと思います。応援できないと伝えることと、強い言葉でぶん殴るのは違うのではないかなぁと。
波が立たないことを望んでるのではなく、いい波が立つことを望んでます。
これからも緑を着てくるだとか、着ていくなだとか、いろいろとあると思うんですけど、公式や本人が明言しない限り、自由だと思いますし、いろんな応援の仕方があると思ってます。
好きであることに条件なんてない。
~すべき。~でなければならない。なんてことはない、そう思います。
2018年1月15日から1年経って
夏菜子ちゃん、しおりん、あーりん、れにちゃん
4人のももいろクローバーZが大好きです。
これからもずっとついていきます。
有安杏果さん
あなたの見せてくれる今後の世界を楽しみにしています。
これからの2つのストーリー
またきっと、私の人生を豊かにしてくれるんだろうなぁ。「ももクロの緑」を好きになって、本当によかった。再来週のはじめての1人海外旅行、どこで小籠包食べようかなぁ。