MONONOFU NIPPONに鼓舞され転職した件

今日仕事を納めて、この1年を振り返った時に転職という自身にとっては大きな決断をした年だったので、その決断に至るまでを綴ろうと思い、久しぶりにブログを書いている。

 

1月1日、横アリで見た夏菜子ちゃんと同日京セラドームで見た剛氏がその後、11日に結婚を発表するなんて思ってもいなかったなと。

CROWN POPが解散して、瀬田さんがばってん少女隊を卒業するなんてことも想像していなかったなと。

そして今日仕事納めを別の会社でしているなんてこともほんとに想像していなかった。

 

振り返ること8月末のこと。

藤田愛理さんが芸能活動を終了するとTwitterで投稿した次の日のことだった。ソロライブでその旨を聞いて、ひとしきり悲しみに暮れたはずなのに文字で見るとまた悲しくて仕方がなくて目がパンパンに腫れていた日。

 

夕方、仕事で絶望し、なんとか折り合いをつけようと必死に自分を自分で宥めていた。

しかし、これから先もこの絶望を毎年味わい続けるのだろうかと思ったら、無性に腹が立った。

腹が立ってきたその瞬間、パッと「闘うとか正直めんどくない?でもなめられんのはもっとめんどいわ」というMONONOFU NIPPONのあーりんの美しい蹴り上げの映像が脳内で再生されて「あ、会社辞めよう」と決心がついたのである。今こうして書いて、どうかしているなと思う。

10年以上働いた会社を辞めて新しい環境でやっていけるのか、そもそも際立ったスキルもないただの普通の人でしかない私がこのタイミングで希望する条件で雇ってもらえるのか、いずれにせよ現状を大きく変えることになるということは私にとっては闘いでしかなく、今まで不満はあっても新しい環境に踏み出すことのリスクを考えると現状維持を選択してしまっていた。しかし、あーりんのあのフレーズが脳内で再生されて、いやこれほんまになめられとるなと思った瞬間に、闘おうって、なめられるのまじでめんどいわってそう強く思い、その日家に帰って職務経歴書を作成して、今働いてる会社含め3社応募した。

 

はらわたが煮えくり返っていたこともあったが、

「時は満ちた反撃の狼煙 大和撫子

「今も昔も一点突破 勝つしかないの」

「後塵拝してヘラヘラしてるような だせえ真似だとか我慢ならねえな」

「経験則は言う不可能は可能になる この命は一度如何にして果てるか」 

とか「闘うとか正直めんどくない?でもなめられんのはもっとめんどいわ」以外の部分のMONONOFU NIPPONの歌詞にも鼓舞され、勢いで転職活動をしていた。

 

その中で1番最初に応募した1番行きたかった会社に雇っていただけることになり、働いて1ヶ月が経った。今は何をしても不思議な気持ちな部分もあって、火曜日にりなてぃーを見にいけたり、新幹線を予約せずにフラッと関東のフリーイベントに行けたり、こういう生活が送れる選択をしたんだなと。

 

どうしても関東に住みたいという言うことが先だったわけではなく、前の会社に絶望したということが大前提で、そこにほんとにおまけとして、どうせなら生活拠点も変えてしまおうと決心したというのが本当のところである。

(12月の行動を鑑みると現場のためだろと言われて当然である)

 

今回、会社を辞めることを決心させてくれたのは紛れもなく、MONONOFU NIPPONだった。

しかし、そもそも私が10年以上勤められたのもまた、ももクロのおかげでしかなかった。

 

私がももクロと出会えたのは、以前のブログでも書いたが休職中に上司から言われた「元気になれるから、エコパに行ってこい」というその一言だった。人生で1番の感動を味わい、本当に生きる力を貰えた。

 

ベタかもしれないが

「笑おう笑おうさあ笑いましょ

こんな時代こそ笑いましょ 笑おう

泣いたら負けだ やけくそ笑いましょ」

というニッポン笑顔百景の歌詞が当時の私にはダイレクトに響いた。

 

ももクロに元気を貰って、しばらくして環境を変えて頂けたこともあり再度働き出すことが出来た。

その後、プライベートでのある出来事をきっかけに何もかも投げ捨ててしまいたくなることがあった。

 

その時、踏みとどまれたのが、

「なんかちょっとずつうまくいかない

ちっちゃい絶望ばかりで

ぜんぶヤメちゃえばいいって思った

でもヤメる勇気なんかない

なんとなくそれはダメな気がする」

という白金の夜明けの歌詞だった。

 

退職届を何度か出したものの受理してもらえず、白金の歌詞をリフレインさせながら、仕方ない、頑張るか...と何度も踏みとどまったが、最終的に白金の夜明けの効果が効かなくなり、MONONOFU NIPPONに後押しされ辞めることを決めたわけで、前の会社で働き続けるという意味では、ももクロに出会っていた方が良かったのか、出会わない方が良かったのか不思議な結末である。 

 

そしてこれほど顕著に自分がその時に求めている、自分にとって都合の良い歌詞しか聞こえてこないのだなと思うと、辛い時に邂逅したのがももクロで良かったと心から思う。

縋るものが違えば、壺やなんとか水を買って、心の支えにしていたかもしれない(近いものはあるかもしれないが...)

 

今回、この選択肢が正しいものであったことにするためにこれから更に闘い続けなければいけないわけだが、現時点ではやっぱなめられる方がめんどかったなと強く思うのである。1からのスタートで、新たに学んでいかなければならないことが山のようにあるわけだが、100倍前向きに働けている。

 

転職先が決まった翌々日に見たライブがばってん少女隊のBATTEN GIRLS TOUR 2024 -TRY- 大阪公演だった。

「ビックリするようなとんでもないこと

いつでも挑戦したがる そう私がやってきました

トライじん」

 

トライじんの歌詞が転職先が決まったばかりの私にとってあまりにも刺さるもので、新しいところで死ぬ気で頑張ろうと思えて、ゴリラホールの1番後ろで泣いてた。

 

この可愛いがフィーチャーされる時代に

「トライじん」

良すぎやしませんか。

 

転職のことを思い返したとき「MONONOFU NIPPON」と「トライじん」この2曲を私は思い出すんだろうなと思うと、こんな人生でほんとにいいのか些か不安にはなる。

だが、人間いつ死ぬかわからないので面白い方に流れ続け、生きていきたいと思うのである。